注染の種類

染めの種類には、注染・ろうけつ染め・長板染めなど色々ありますが、
最もポピュラーな注染には4種類の染め方があります。

白地
一色
白地に模様が紺色という
スッキリした浴衣。
どんな色の帯を持ってき
ても似合いますし、夏の
焼けた肌にもよく映えま
す。白地に紺一色は色が
少なくて寂しいと思いがち
ですが、色が氾濫する夏
の季節の中では逆に
スッキリと華やかで却って
色のあるものより派手に
見える事もあるようです。
浴衣の中では最も着こな
しが簡単な物ですから
1枚は持っていると
便利です。
地染り
一色
紺地に模様を白く抜いた浴衣。
明治時代に入るまで浴衣は
紺地に白か、白地に紺と決ま
っていました。藍染めが主でし
たから淡いブルー地から濃紺
までの色が全ての浴衣の色
だったのです。化学染料が
ドイツから輸入された明治
20年以降からは赤や黄色を
差し色にした物が出始めます。
紺地は着る人をほっそり見せ
ますし肌に艶を与えます。
濃い地になるに従ってしっとり
した雰囲気になる様です。
洗濯が激しいと毛ばだち
やすいので丁寧に洗うよう
にしましょう。
地染り
差し分け
紺地に模様の中に色を差
した立体感のある浴衣。
地色を濃色に染め、模様の
部分に白と配色の色差し
をしていく地染り差し分け
浴衣は、洋服感覚で柄選び
が出来る点で好まれます。
本来の浴衣のイメージとは
違い、溌剌とした着こなしが
出来ます。
濃い地の浴衣は体を引き
締めて見せますから、
ふくよかな方や大柄な方
にもお薦めします。
地染り
ハマリ
細川
細かい柄を一面に染めた上から
もう一度、模様を載せて染めると
いう手の込んだ浴衣。2枚の型紙
を使って2度染めをしています。
江戸時代、熊本の大名細川候が
常に二度やらなくては気がすまな
くて、裃小紋なども全て二度染め
させた事から二度染めの名称を
「細川染め」と呼んでいます。
地染めに細かい柄を染め、二度目
には少し大きな模様を染めた物
が主流を占めていましたが、柄の
ポイントだけを二度染めする感じ
の<地染り差し分けはまり細川>
という派手目の物も出てくるよう
になりました。二度染めの部分が
色の重なりがぼかしになって
いたりと色に深みが増しています。

歌舞伎好みゆかた集


ゆかたが最も発達したのは江戸時代ですが、特に歌舞伎役者によって大いに広められたものです。
当時の歌舞伎は今よりもっと体臭に愛されていましたので、それぞれの役者が楽屋で着るゆかたや、
ひいき筋に配る手ぬぐいの柄はファンの宝でした。
役者と同じ柄のゆかたを染め、それを着て町を歩きまわるわけですが、それを見た他の連中も、自分の
ひいきの役者と同じ柄を着るというわけで歌舞伎役者の考案する柄が、アッという間に流行する訳です。
 まさしく役者は今で言う、ゆかたのファッションリーダーでした。
 人気のあるのは、現在の市川海老蔵の祖先、市川団十郎が考えた「三枡格子」に
大工六三の役を演じた時の柄、「かまわぬ」。
また「キ」と「呂」の文字を図案化した「菊五郎格子」これは三代目尾上菊五郎が考えたもの。
それに有名な「市松格子」これは佐野川市松が心中物の役の中で考案した図案。
そして四代目松本幸四郎の図案は「高麗屋格子」
 数え上げたらキリがありませんが、このように役者と町人の間で、ゆかたの柄が洗練され、
一般庶民に流行していったのが、現在のゆかたの底を流れている「粋」さに通じているのです。


左から

芝翫(しかん)縞
業平格子
菊五郎格子
鎌輪ぬ
斧琴(よきこと)菊
市村格子
弁慶格子

本絵羽ゆかた


きものの模様が、縫い目にまたがって一つの絵のように続いている事を
<絵羽づけ>という言葉で呼びますが、手を拡げたりすると一つの模様
に染められているのがわかります。これはゆかたの訪問着です。
他の着物の様に華やかな色は使っていませんが、着物の世界では模様が
繋がっている物は格が高くなります。
 この本絵羽ゆかたは訪問着といっても、人を訪問するときに着るのではなく、
祭りごとに参加する時に手を通します。
神を訪問し、それを祝う時に着るゆかたなのです。
盆踊りなどは祖先を敬う気持ちが本絵羽ゆかたで身を飾ることになります。
 本絵羽ゆかたは大胆な模様のものこそ、着る人を引き立て、
華やかな雰囲気を醸し出してくれるようです。
東京染本絵羽ゆかたには、その色彩の鮮明さと、きっぱりとした柄ゆきに
特徴があり、それを着る人を生き生きとした若さで包み込む魔力がひそんでいるようです。
最近はグループや町内会の婦人達が、それぞれ各自で図案を考えて染めを
依頼するというケースも多くなりました。
 本絵羽ゆかたに合わせる帯は、半巾の踊り帯がゆかた姿を華やかにしてくれます。


長板染めゆかた


ゆかたと呼ぶにはあまりにも精巧を極めた長板染めは江戸時代まではゆかたの染め方の
本流を占めていました。
 小紋と同じように、一反ずつ染める手仕事で、色は藍。藍染めをする店を「紺屋」と呼び、
現在でも「紺屋町」という地名がある程、一つの町内に藍染屋が集中していたのです。
 長板本藍染めの手法は今では無形文化財に指定されていますが、現在のように細かい柄が
多くなったのも江戸時代です。ゆかたの長板染めの方法から、絹布に染める江戸小紋が生まれた
と言われる技術ですが、ゆかたには中柄、小紋は小柄ということでゆかたの別名が中形、
小柄を小紋というような呼び方にした時期もあります。
 江戸時代、将軍吉宗公の時代は、度重なる贅沢禁止令が出ました。つまり、一般町民(下衆)は
絹のような贅沢な物を着てはいけない、絞りのような手の込んだものを着てはならないという
おふれです。
 町民は木綿、しかも色も藍と決められました。これで発憤したのが、江戸の職人達と町民です。
当時裃に染めていた、裃小紋(江戸小紋)のような細かい小紋を、木綿に染めて権力者の鼻を
あかしてやろうと考えました。そこで生まれたのが、木綿の長板本藍染めです。
絹の小紋と違って、表と裏に同じ柄をつけるわけですから、更に技術は難しくなります。
作る人も着る側も、お互いの心が一つになって権力者に知恵で勝ったのが、この長板本藍染め。
これこそ、本当の江戸っ子気質を染め抜いたものといえます。またこの粋さは、江戸に住む人に
しか理解できない粋さでもあったのです。命令された通りの材料を使ってはいますが、
技術は武士の礼装である裃小紋よりはるかに難しい技術のものを、町人が着ているわけ
ですから、何とも痛快な着物です。長板本藍染めを着るときは、このような歴史をしっかりと
頭においておくと、着こなしにもメリハリが出るはずです。そしてこの着物は単衣で着ても、
また裏をつけて袷で着てもなかなか味のあるきものです。